欲望とコミュニケーションと僕の考える未来

Alvin Tofflerの「富の未来」を2年前にサラッと読んだ。
サラッと読める内容ではないのだが、とにかく上巻だけサラッと読んだ。
きっかけは、まぐまぐの大川社長に勧められたからだ。

大川さんは、インターネットがまだ全盛になる前、「インターネットどこでもドア」というホームページにHTML論文を書いていたそうだ。
僕はあいにく読めていないが、その文章を読んでかのホリエモンがわざわざ京都に会いに行ったそうだ。

六本木で働いていた元社長のブログ – イケてる会社
http://ameblo.jp/takapon-jp/day-20100518.html

とあるご縁で、僕はしばらく師の元で働いた。
上記エントリでホリエモンが言うとおり、師の時代と本質を見る目は確かだと常々感じていた。

そんな師に勧められた本なので、もっとしっかり読みたいと思っていた折、
少し時間とエネルギーがでてきたので、改めて富の未来を読み始めた。

読みながら思う。
感想、というか何かを書かざるにはいられなくなってしまう。

読んだことがない人に伝えるために、あえてこの本を一言でまとめるとこうだ。

「今この瞬間も、産業革命に匹敵する大きな変化がいたるところで起こっている。
その変化に政治も経済も人間も、ほとんどの社会システムが追いつけていない。」

歴史的には、狩猟から農耕へのシフトによって蓄えることを覚えた。
蓄えることでわずかではあるが余暇ができ、そこに定住することができるようになる。
村ができ、権力が現れる。モノを交換することを覚え、貨幣ができる。

工業化によって、大量生産ができるようになる。
大量生産できると、製造コストが抑えられ、今まで手の届かなかった庶民もモノを買えるようになる。
ライン化された工場で、働く人員がたくさん必要になる。人を集めると都市ができる。
作ればとにかくモノが売れた時代なので、効率化が求められる。

決まった時間に決まった動きをすることができる人間が重宝され、学校教育の段階から決まった時間にチャイムが鳴る。(これはいまだに引きずっている当時の慣習の一つである)

マスメディアは、欲望を掻き立てる広告宣伝を繰り返し、大衆はそれを買うために一所懸命働く。
これで、うまく経済は回っていた。

多くの法律や制度は、この時代に合わせられて作られたものである。

そして、現代は脱工業社会の動きが激しい。これがAlvin Tofflerがいうところの第三の波である。
時代は、知識経済へ。
技術の進歩により、消費者は簡単に生産者になることができるようになった。
(僕がここでブログを書いて、あなたに読んでもらっているということも、そのひとつだ)

しかも、知識は誰かにあげたりしても、つかってもなくならない。
おまけに、知識の移動コストは限りなくゼロになった。

10年ぐらい前だろうか。僕が中学生の頃、
Napsterが音楽ファイルをP2Pという技術を使って、知らない人と音楽ファイルを無償で交換できる、という事態で業界全体が揺れた。
中学生ながら、僕は読めない英語を苦労して読んで、ドキドキしながら音楽をダウンロードしていた。
当時は、無料で音楽を手に入れようなんて、とんでもない。と悪者の烙印を押されてしまった。

しかし、今ではYoutubeに積極的にプロモーションビデオをアップロードしている。
この10年で、所有権の定義も変わったと言っていいかもしれない。

このように今までの常識が、知識経済では通用しなくなり、
今までのモデルにあてはめて考えてしまうことをリスクとまで言及している。

たとえば、ここ最近のニュースをひとつとってみても、この波の影響であるといえる。
フィーチャーフォンからスマートフォンへの移行のスピードが予測以上のものであり、
帯域制限をするしかないというキャリアの苦肉の策だ。

KDDI、スマートフォンで通信速度制限を実施
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20110822_471979.html

たったいま起こったゲリラ豪雨、東京中の個人レポーターが氾濫した川を撮影する。
それを瞬時にまとめる人がいる。
もはやあらゆるテレビ局が集結しても、マスメディアにこんな芸当はできないであろう。
そして、重要なのはこれには1円もコストがかかっていないことだ。

東京都内の大雨まとめ(2011/8/26)
http://matome.naver.jp/odai/2131434331986288501

そんなことが、世界中のあちこちで毎日のように起こっている。

この波のスピードに対応できない国家や人は、徐々に貧しくなっていくことが目に見えている。
今まで貧しかった国が、ハングリー精神を見せてGDPを毎年ぐんぐん伸ばし、
アメリカの経済は終わり、アジア経済圏への回帰だと世間では言われている。
ドル安も大変なことになっている。

ベトナムの国内総生産

この波で、変わらないものはなにか。そして、価値が上がっていくものはなにか。
そんなことを毎日考えて過ごしている。

僕が尊敬しているとあるCTOは言った。
「余暇時間は今後どんどん増えていく。その余暇時間の奪い合いである。
しかし、ヒト対ヒトのコミュニケーションは未来永劫なくならない。」

家事のあらゆることが自動化され暇を持て余す主婦は、テレビを見て、雑誌を読んで、ソーシャルゲームで何万円も消費する。
これを不毛な時間だと言い切るのは簡単ではあるのだが、僕はとっても興味深く見守っている。

ぼんやり

人生とは一体なんなのだろうか。
現代における価値とは、なんなのだろうか。

これは、文明批判ではない。
良いことも悪いことも、予想だにしない事がこれからどんどん起きるんだろうけど、
僕は未来は100%明るいと信じているし、この時代、日本に生まれたことを幸せに思う。

気の遠くなるような長い地球の歴史の中で、
何かたったひとつでも誰かを楽しく幸せにできたらいいなぁ。

そんなことをぼんやりと思いました。

高専卒→大学編入中退→起業→転職を経て、ソーシャルゲームを作ったあと、とあるアプリのサーバサイドエンジニアをやっています。 技術の未来予測とかデザインのリノベーションとか、おぎやはぎとかネギトロ丼が好きです。 猫飼いたい。 twitterは@serimaです。お気軽にfollow/unfollowどぞ(゚∀゚)

下の「いいね」ボタンを押すと、やる気パラメータが+1!


欲望とコミュニケーションと僕の考える未来」への2件のフィードバック

  1. NR JAPAN Lab

    私も富の未来を読んだとき衝撃を受けました。来るべき新しい時代に私たちは突入しているのを感じるとわくわくですよね。これからは一人一人が消費者から生産者に変化していくときで、最近時代の変化を特に感じることが多くなってきました。

    返信
    1. serima

      コメントありがとうございます。本当にそうですね。
      富の未来を読んで衝撃を受けてから、大局的に変化を受け入れることができるようになりました。
      産業革命とは性質がかなり異なりますが、大きな変化のウラに悩む人間ドラマを描いたBBCのNorth and Southというドラマ映画が気になっています。

      返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です